ライター、Web制作を始める。
それはまだ、Windows98が世間で騒がれていたころ、9月のとある日曜日にパソコンが届きまして、「こんなもの、どうして必要なの」なんて言っていたご本人が、あっという間にネットにはまったの〜♪
あまりに懐かしい時代のお話なので、同年代しか分からないだろう昔のヒット曲の出だしにひっかけてみましたが、私とインターネットとの出会いは、まさにこんな感じでした。
光回線どころかISDNもADSLもない時代、高速回線が使い放題になるなんて、まさに空想かSF映画の世界……というインターネット黎明期に、わが家にパソコンがやってきたのです。
当時は、夜11時からの深夜帯以外は、インターネットにつないだ分だけ通信料が加算されるという仕組みだったため、メールを送信したらすぐに回線を切る、Webサイトもページを読み込んだらすぐに回線を切る、というスリリングなネット環境でした。
ネットにつなぐたびに、パソコンから電話回線につなぐ「ジーコロコロ」という音が流れてきたなんて、今からはとても想像できない、そんな時代から始まるスタジオ・アイルのお話です。
おんぶ姿でパソコン
当時、わが家は次男が生まれたばかり。ヤンチャな男の子二人の育児でてんてこ舞いをしていた私にとって、夫が買ってきたパソコンなんて、当初は「無用の長物、お金の無駄!」としか思えませんでした。
ところが、いざフタを開けてみると、仕事で忙しい夫よりも、家に閉じこもりがちな私の方がパソコンを使う時間が多く、アッという間にその魅力と魔力に引き込まれていったのです。
とはいえ、乳飲み子を抱えた身、思う存分パソコンをできるわけではありません。
長男が幼稚園に通っている時間帯で、次男がお昼寝をしている間、もしくはおんぶでごきげんよくしてくれているほんの数十分の間に、育児サイトを見るくらいでした。
米袋級の重さの赤ちゃんをおんぶしながら(今なら抱っこひもでしょうか)、パソコンをするなんて、当時は若かった!と思います。
絵と文章を両立したい
よく聞かれるのが、「ライターなの?デザイナーなの?」ということです。
この2つの職種を同時に行うということが不思議に思われるのは、当然なことだと思います。
自分でも、「どちらかに絞った方がいいのでは?」と思ったこともありました。
しかし、ライターとしての活動と、Web制作の仕事とを両立させることで、見えてきたものがあります。今では、自分の中ではこの2つのどちらが欠けても、不十分な気がしています。
学生時代は美術部で文芸クラブ、大学は美大にするか文学部にするかでギリギリまで悩んだ末、文学部を選んだものの、デザインもあきらめきれず「広告デザイン研究会」に入ってみたり……。
そんな私にとって、文章を発信できる、デザインも作ることができるパソコンは、まさに魔法の箱だったのです。
実は、子どものころから、「絵と文章の両方を使ってできる仕事」が夢でした。
パソコンに出会ったのも、運命だったのかも……?
パソコン=ホームページ!?
パソコンにはまってしばらく経ったころ、「パソコンができるなら、ホームページ作ってよ」と商売をしている親戚に頼まれました。
そう、当時は「パソコンを持っている=ホームページとやらいうものが作れる」と思われる時代だったのです。
手持ちのソフトは、パソコンに付属のペイントとメモ帳だけ。それでも、書店で「初めてのホームページ」的なムック本を購入し、ポチポチとタグを打ち込みながら作ったのが、私の作ったWebサイト第一号でした。
初めて作ったWebサイトがネット上に公開された時、感動というより「本当にできちゃった!」という驚きの方が大きかったのを覚えています。
そして、しばらく経ってからようやく「自分の作った作品を、ネットを通じて日本中、いや世界中の人に見てもらっている!」ということに気が付いて、体中がゾクゾクしました。
この時、「パソコンを使って、情報を発信する仕事をしたい」という気持ちが固まったのです。
メルマガライターになる
パソコンを使って初めてお金をいただいたのは、実はWeb制作ではなく、メルマガライターとしてのお仕事でした。スクールに通ったこともない主婦が、育児のかたわらスキルを身につけるには、まだWeb制作は敷居が高かったのです。
メールマガジン配信サービスの「株式会社まぐまぐ」設立が、1999年。その前後はメールマガジン(メルマガ)のまさに全盛期。ネットを使ったビジネスにとって、メルマガは非常に有効な手段でした。
そんな時代に、メルマガライターの養成をするいくつかのグループワークに出会い、そこで勉強しながらお仕事をいただいたりしていました。
当時の師匠は、絵文字師として有名だった「京太」さん。京太さんには、ネット上でのやり取りのコツや、紙媒体とは違うネットでのライティングスキル、絵文字の作り方まで習うことができました。
今から思えば、仕事の節目でいつも素晴らしい師匠に出会い、そんな出会いが今の私を作ってくれた気がします。
出会いに感謝!の気持ちを、いつまでも忘れずにいたいと思います。
「Step-First」に参加!
メルマガライターとして活動しながら、Web制作の勉強も独学で続けていたころ、あるWebサイトに出会います。
それが「W-step」でした。
W-stepは、現在「株式会社エフシーゼロ」代表取締役の「藤川 麻夕子(ふじかわ まゆこ)」さんが立ち上げた、プロ・アマを問わないWeb制作者のためのコミュニティー。現役バリバリのプロもいれば、私のように勉強中のアマチュアもいました。
その中から有志が集まってできたのが、ボランティアのWeb制作チーム「Step-First」でした。集まったメンバーは、なぜか女性ばかり12名。
その12名で、Web制作に関する情報サイト「Webふぉれすと」を立ち上げたのが2002年のこと。 この時から、熱いハートを持ったメンバーたちと過ごす、密度の濃い2年間が始まったのです。
■株式会社エフシーゼロ(http://fc0.vc/)
■藤川さんのブログ記事より「ネットとの付き合いの中で意識していた9つのこと」
1日メール500通!
Step-Firstのメンバーは日本全国にいるため、普段のミーティングはすべてネット上で行われました。FacebookもLINEもSkypeもない時代のこと、メーリングリストとチャットでのやり取りがすべてです。
サイトの企画、メンバー分担、デザイン、コーディングチェックなどなど、膨大な情報がメーリングリスト上でやり取りされ、時にチャットミーティングも行いながら、サイトの詳細が決定していきました。
1日のメール数がなんと500通を超える日も多く、1通メールを送れば、即座にレスポンスが返ってくるというスピーディーで刺激的な日々。そんな毎日に、不思議と大変さは感じませんでした。
むしろ、「Web制作をしたい」という目標に向かって努力している仲間が、いつも一緒にいて励ましてくれる……そんな気持ちが強く、毎日がとても充実していたのを覚えています。
分刻みで入ってくる情報を頭をフル回転させて整理し、作業内容に即座に反映させていくといった経験も、仕事をする上での大きな自信を付けてくれました。
実は、「Webふぉれすと」というサイトの名前はスタッフ間の公募で決まったのですが、私が提出した案だったというのが、今でもちょっとした自慢です。
Step-Firstでの熱い日々、そして、スタジオ・アイル始動へ続きます。
続きは第二話で。
富山でコンテンツSEO!スタジオ・アイルができるまで。【第二話】に続く!
「ライティング中心のWeb制作」その理由>>
スタジオ・アイルでは、コンテンツSEOを重視したホームページ制作を富山県富山市で行っています。
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